昭和48年01月21日 特別奉修委員



 お互いの心の故郷だという、まぁ言い古された言葉ですけれども。今日のは違いましたですね。本当に、自分の神に向かう心を育てて頂くから、心の故郷だという事でなからなければいけない訳なんですけれども。そのように私共は例えていうと、九州の小倉それから福岡、又は久留米、甘木あたりの、あぁいう大徳の先生方が、九州にこうして道を敷いてくださって、全国でも一番教会の密集しておるのが、ここの北九州だと言われるくらいな御比礼を頂いておるわけですね。
 ですからその先生方の例えば、松平先生とか、松次郎とか松太郎とかという先生方の、その松の字を大変ここで大事にするわけですけれども。あの新聞なんかで松の字が出とっただけでも、感動を覚えますね。またはあのお花なんかに松が使ってあると、はぁこれだけでも何か有り難い気がするでしょう。と言う様なものがね、やはり本当に信心に心が向いておる時には、そういうものがあるはずです。
 けれどもこれほど例えば松の信心、松の信心という事を言われておるのに、それに感心をよせていないとすると、それはちょっと可笑しいですよね。あの松の字を見ただけでも感動すると言った様なものが、やはりなからなければならないと言う事ですよね。私今日は、ここでの会合の事をお願いさせて頂きよりましたら、松の枝をこう頂いてその松がね、赤くなって行きよるです。
 最近この松山に赤くなってる松が沢山あるでしょうが、あっちこっちに。あれはもう松だけにしかつかない松食い虫だそうですね。もうこれだけはもうどうにもしようがないほど根強くてですね。あれをいうなら駆除するのに、大変に骨が折れるもんだそうです。これは楠の木やら杉の木にはつかん。ただ松の木にだけつくち言う。九州でもですそういう松の信心、松の信心と言わて、私共は言うておりますけれども。その松の信心に虫がついておるような感じがしますね九州では。
 ですからこれを本当に言うなら駆除させて頂く御用が合楽辺りにはあるような気がいたしますね。それはどう言う所から、その松が赤くなっておるのか、虫がついておるのかというとね、これは昨日池田さん所の霊祭、もうそれこそ大変な行き届いたお祭りでございましたが。昨日二柱の御霊様のお祭りをさせて貰うのに、全然私には情感というものがないわけですよね。殆どここに二十年間もおかげを頂いて、所謂私が関わりをもった御霊様のお祭りが大体多いわけですけれどもね。
 この情感だけで、例えばお祭りを仕えられる訳なんですよね。所が全然私と関わりのない、その御霊ですからその事を神様に、御祈念の時に申上げましたら。昨日から今日にかかってね、素晴らしいお繰り合わせというかタイミングの事を思うてみれと。昨日から十人の先生、ここの先生達がもうその使われ具合というものが、みんながずうっとどうか、神様の御用をしとらんならんと言った様な感じだ。楽員さん達まで。という程しに素晴らしい、昨日今日ではなかったかと。
 こういう神様の働き、御霊様の働きがあっておるのだという事を頂いて、改めて有り難い感情が湧いてきて、御霊様にお礼を申させて頂いたのですけれどもね。もう御霊様に対するところの御理解が素晴らしかったです。御霊様に対する御理解。それがあの四神様の御教えを引用して、客殿に扇子のあれがあるでしょう。四神様のお言葉というのがね。あの御理解。みんなが信心させて頂いても、目に見える所ばかりを大切にして、目に見えない所を大切にしないと言う事が書いてある。
 私は九州のね松食い虫は、どう言う所からかというと、最近大きな教会であればあるほどですね。形の事にこだわって心の目に見えない所を大事にしない事になった所から、私は松食い虫がついた様な感じがしますね。今日あたりの平田さんあたりがみえてから、平田さんが、本当それこそ卓を叩いて一生懸命、絶叫してみんなをこう言うて回り夜れれるけれどもですね。それを皆んなが聞こうとしない。むしろもうあれの話は聞くなと言う様になってしまってね。
 誰も平田さんの話を聞く人がい事になっておる最近は。それで自分が育てておられる教会ですからね。あの若松教会南八幡教会なんか。そうするとここの人達ぐらいしか聞いて貰えない、どうでも聞いて貰いたいと言う様な熱意を持って、いうなら松食い虫の退治のね、私はお話であろうとこう思うのですよ。だからここん所はお互いが分からなければならない事は、本当に形だけにこだわって、心の無い信心ではね、本当に松食い虫がもう松だけにしかつかない虫がつくです。
 信心しよるから信心しよる者だけにしかつかん虫がつくです、心を大事にしなかったら。もう愈々最近言われる、自分の心というものの姿勢をです、本当に、魂が進化していく、魂が神様に向かっていくという事へ向きを替えてしまわなければいけないと言う事が分かります。そういう願いに立って、そういう信心を元にして、合楽の五つの願いと言うことにならなければならないですよね。
   どうぞ。